
池田幸男により
騰写印刷(孔版)を開始
1951年に創業者である池田幸男がデルタプリントという屋号で印刷事業を開始。当時の印刷手法は現代のそれとは大きく異なり、騰写印刷(ガリ版)と呼ばれていた。ロウを塗った原紙に、文字や画像を直接描いて版を作成。描画した部分はロウが削られ、原紙をメッシュシートに重ねて印刷用紙の上に置き、ローラーでインクを塗ることで、ロウが削られた箇所だけインクが押し出されて印刷されるという技術であった。芸術肌の幸男が描く文字や絵は、お客様から高い評価を頂き地元では知らない人はいなかった。
そんな幸男は生粋の職人気質であったため、営業はすべて妻トミ子が行っていた。地場大手企業からの受注も多く、戦後の経済発展と共にデルタプリントは成長を続けた。

池田幸徳が 2代目社長に就任
1970年に幸男の息子である幸徳が代表取締役社長に就任。父幸男とは異なり熱血営業タイプだった幸徳は、新規顧客の開拓に時間を費やした。生真面目で読書好きの幸徳は、各企業・団体の代表や大学の教授に気に入られることが多く、冊子の印刷を中心に毎年着実に取引先を増やしていた。しかし、1990年代のITバブル以降、印刷需要は徐々に減少していき大手印刷会社の下請け仕事をすべて失うことになった。元請仕事を増やすことで経営を維持していたが、原価の高騰もあり2000年以降は苦しい経営状況が続いた。

池田豊隆が 3代目社長に就任
アメリカのワシントン州立大学を卒業後、都内のIT企業でシステムエンジニアとして働いていた豊隆は29歳の時にデルタプリントの業績が芳しくないことを耳にした。30歳でデルタプリントに入社し、2013年より取締役兼CEOとしてデルタプリントの経営を託される。行動力だけは人一倍あった豊隆は、朝4時からポスティング・月1,000人との名刺交換といった常軌を逸する営業活動により3年で年商を1.6倍まで回復させた。コロナショックの2019年度を除き年商は毎年右肩上がりと進撃は止まらない。